本稿は、2022年2月26日に、「関西漢字教育サポーターの会」例会において筆者が発表した内容を、読み物として再構成したものです。
面白いネタを集めたつもりですので、楽しんでください。
★あやふやな部首
漢字には古くから、字体の定まらないものが多いのです。大事な意符である部首についても、いろいろな形で書かれている場合があります。
「秘」
「秘」の旧字体は「祕」です。部首を比べてみると、「のぎへん」と「しめすへん」で、全く別の部首が使われています。
中国や日本の過去の写本や石碑から字を集めた「大書源」(二玄社)で調べると、北魏のころ(5世紀)から両様の字が使われています。
中国の「集韻」(宋代の字書)では秘を掲げ、「通作祕」(通じて「祕」に作る)としています。逆に、「正字通」(明末の字書)では祕を掲げ、秘の字体は「譌」とされています。(「譌」とは、いつわり、あやまり、なまり といった意味です。)
白川静氏の「字統」も、「秘」の字ができた理由について、「筆の誤り」と言い切っています。
禾は稲などの穀物を意味する部首で、秘の字の部首が禾であることがそもそも不思議です。康煕字典(中国・清の皇帝が作らせた辞書で、中国や日本で長く規範的な字書とされていた。1716年完成。)には両方の字を載せ、「秘」の方には「香草也」との引用もあります。草の名の「秘」と、秘密の意の「祕」が、古くから混同されて使われてきたようです。
「幹」
「幹」という字の部首はなんだか分かりますか?実は、右下の「干」が部首なのです。「かん」や「いちじゅう」と呼ばれます。
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幹 正字 |
康煕字典ではそうなっているのですが、もっと古い「説文解字」(西暦100年成立、中国最古の部首別の字書)では、なんとこの「干」の部分が「木」となっていて、この「木」が部首だとされ、意味も「土壁を築くときの両側の板」とされています。残りの
が声符(「カン」の音を表す部分)です。
一応、説文解字ができた後で、部首が木から干に替わったのだと考えられますが、なぜそうなったのか。「
」はもともと「旗竿」を意味する字で、干にも「さお」の意味があり、幹の字でも意味の変化はないと言われますが、詳しくは分かりません。
ちなみに、十干(甲乙丙…)と十二支(子丑寅…)をあわせて「干支」(「えと」とも読みます)といいますが、この「干支」は「幹枝」を略してできたことばだと言われています。とすると、この語ができたときには「幹」は「みき」の意味であり、干を部首とする字になっていたはずですが、「干支」の語が使われだしたのは後漢代からといわれ(ウィキペディア)、説文解字も後漢代の字書なので、部首の入れ替えと意味の変化が短い期間に起こったことになりそうです。
「筋」
「筋肉」の筋がたけかんむりなのはどうしてでしょう。説文解字は、筋は「肉のすじ」で、「竹はもののなかでもすじが多いもの」だからだといいます。
「字統」は、竹は「腱」の象形だといいますが、今では竹の部分は植物の竹と同じ形です。
「筋」については、甲骨文や金文といった古い字が残っていないため、真相は分かりません。
「折」
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折 金文 |
「手で折る」のだから「てへん」でいいのじゃないかと思ってしまいますが、この字は古くは左のように書きました。「へん」にあたる部分には、
という字が二つ、縦に並んでいます。
(テツ)は、草が芽生えた様子を示す字で、これが横に並ぶと「艸」という字になり、これは「くさかんむり」の元になった字です。
つくりの「斤」は「斧(おの)」を意味します。つまり、折は、草を斧で刈るという意味だったのです。
★あやふやな新字体
日本では、常用漢字については「常用漢字表」で新字体が定められています。このうちの大半は、1949年に定められた「当用漢字字体表」の字体を継承しています。
この字体表は、当時使われていたいろいろな字体から選ばれたものとされていますが、本家の中国での字体に比べると、「由緒正しくない」ものも多く含まれ、今日でもいろいろ批判されています。
ここでは特に気になるものを採り上げます。
「着」
この字は、中国の字書では「著」の俗字(または誤字)とされています。著には、チョと読む場合とチャクと読む場合があり、チャクと読む場合に「つく、つける」という意味を示し、その場合にのみ着の字体が使われたのです。
着の字は康煕字典にも載らず、「大書源」にも挙げられていませんが、古い字書には載せているものもあります。日本では著とは別の字と認識されて、両字とも常用漢字になっています。
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着 大漢和 |
ちなみに、日本の漢和辞典では「羊」部に入れているものが多いようですが、「大漢和辞典」では「目」部に入れ、字体も1画少ない見慣れないものを掲載しています。
「冊」
この字も、康煕字典にはこの形では載らず、
と
の字体のものが載っています。
日本では、「册」が使われる場合もありますが、この字は常用漢字表にも載りません。
冊の字は、「柵」の元の字という説と、竹簡をつないだものの象形とする説とがありますが、落合淳思氏の「甲骨文字辞典」によると、甲骨文から2系統あり、
のように縦棒の長さが揃ったものが竹簡で冊の元の字、
のように長さがまちまちなのが柵の元の字ということです。
「明」
これは、新字体に問題があるわけではありませんが、漢字の字体が昔から定まっていない例として取り上げます。
この字には、古くから2系統の字体が存在します。
説文解字は正文として
、古文として
を掲げます。
康煕字典では逆に、正文として
、古文として
を載せています。見慣れない「
」という字は窓の象形で、窓から月の光が入って「明るい」というわけです。
明について、日と月が両方出て明るい、というふうに覚えた人もいると思いますが、考えてみると、太陽と月が同時に出て明るい、というのは非現実的で、漢字の成り立ちとしては不自然にも思われます。
これだけでもややこしいのに、まだ別の字体があります。目と月から成る
という字です。
これは今ではほとんど見かけない字ですが、古くは広く使われました。大書源では、「明」の項にある字の半数以上が
で、王羲之や顔師古、顔真卿などの有名書家に加え、日本の「法隆寺釈迦三尊銘」なども目+月の字を使っています。その次に
が多く、「明」は少数派です。
中国唐代の「干禄字書」(科挙(公務員登用試験)の受験者のために、どの字体が正しいものかを明示した字書)でも、
が通用字体、
が正文とされていて、「明」の字体は載っていません。
一説には、「古くは明の字体だったが、漢代に
の字ができた」ともいいますが、その後「明」が盛り返してきて現代に至ったようです。
余談ですが…
先に書いたという字は、目じりを下げて口を開いた人の顔に似ています。このため、中国のSNSなどで、「困っている人」「トホホな人」を表す顔文字としてよく使われているそうです。+r+zで、手をついてうなだれている人にもなります。(佐々木睦「漢字の魔力」より)
rz
「及」
この字は何画で書くでしょうか。日本の学校教育では3画と習ったと思いますが、康煕字典では4画です。
日本では、
を1画で書きますが、本来は
+又に分解できるのです。
は左を向いた人、又は手で、他の人を後ろから捕まえる形です。
部首も、日本では丿(の)とする辞書が多いようですが、康煕字典では又(また)です。
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急 小篆 |
人+手の組み合わせは、「急」という字の上半分も同じです。最上部が人、次のヨ型の部分が手です。字統によると、「追いつこうとして急ぎはやる心情を急という」とのことです。及は、形は違いますが、急の字の声符とされています。
「」(部品として)
この部品は何画か。康煕字典では左側のL型の部分を1画で書いて、計2画ですが、日本ではちょっとややこしい。常用漢字で、「収」の場合は2画、「叫」と「糾」の場合は3画とされています。
どの字の場合も、小篆では同じ
。縄をなう様子といわれています。左に置く場合と右の場合でなぜ画数が違うのか。答えられる人はいるのでしょうか。
「己」(部品として)
当用漢字の字体を定める際、「似た部品は同じ形にする」という方針があったようです。このため、元は違うのに「己」の形にされたものがいくつもあります。
①巳→己:選、起、包 … これらは康煕字典では巳を部品とした字です。
②
→己:巻 … これも康煕字典では卷の形です。
③卩→己:配 … これはもっと古く、金文では卩でしたが、小篆では己になっています。
④巳?→己:改 … さらに古く、甲骨文では巳だったようですが、その後己になりました。
①については、明らかに形が違うのですが、旧字体とは認められていません。常用漢字表には、康煕字典と字体が異なる場合、「いわゆる康煕字典体」として旧字体が( )書きで掲載されていますが、「著しい差異のないものは省いた」ということで、①の字の場合は掲載されていません。ほかにもそういう字は沢山ありますが、その場合、パソコンやスマホで旧字体を出すことが難しい場合が多いので困ってしまいます。
②の巻は、旧字体の卷が常用漢字表に掲載されています。
③の卩は、人がひざまずいている姿で、配は「配られた膳につく」意味だといわれています。
④の改のつくり「攵」は、棍棒などで隣のものを叩く形ですが、叩かれるものが「己」だと意味をなさないので、「巳」(たたりをなす蛇などの動物)が本来の形と言われます(「字統」)。説文解字、康煕字典双方とも、己のつく字と巳のつく字の両方を載せますが、「あらためる」の意味は己の方で、巳から己への変化はかなり古くに起こったようです。
「灰」
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灰 Batang |
この字の上と左の部分は、「原」などと同じ「がんだれ」のように見えますが、本来は、「右」と同じで手の形なのです。これも、新字体を定める際、似ているからと同じ形にされたものです。
灰は、燃え残りの灰を手で掻きだすことを表した字だとされます。部首は「火」です。
上の字は、Batang という韓国系のフォントで「灰」を表示したものです。フォントを切り替えれば、たいていのパソコンで出せますので、一度試してください。
★漢語か和語か
日本語の中には、漢語由来か大和言葉か、分かりにくい言葉もあります。いくつか拾い上げてみました。
「ぞんざい」
「なげやり」とか「いいかげん」という意味で使われますが、いかにも漢語風の響きのある語です。でも、漢字書き取りの問題に出たらどうしましょう?
日本最大の国語辞典である「日本国語大辞典」でも、見出しに漢字は掲げられていません。また、この辞書には、多くの語について「語源説」が載せられていますが、「ぞんざい」の場合、「『麁雑(そざつ)』の転か」や「存在の義」との説が紹介されています。でも、「ソザツ」と「ゾンザイ」では音が離れているし、存在の義がなぜ「なげやり」になるのか、疑問が残ります。
歴史的には、江戸時代から仮名書きや当て字で使われていて、志賀直哉や谷崎潤一郎も作品中に使っています。正体不明のまま、広く使われている語と言えます。
ちなみに…日本古来の言葉(大和言葉)には、濁音で始まるものがほとんどないと言われています。例外は、ごみ、どろ、どぶ、びり など、イメージの悪い語が多いのです。「ぞんざい」も、そんな例外の一つかもしれません。
「へび」
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「倭名類聚抄」 蝮 の項 |
国立国会図書館 デジタルコレクション より |
ヘビが漢語のはずはないだろうとお思いかもしれません。私もそうでした。しかし最近読んだ本(山口謠司著「てんてん」)で驚かせられました。
平安時代の日本の百科事典「倭名類聚抄」(わみょうるいじゅうしょう、「和名抄」とも)の「蝮(まむし)」の項に、中国唐代の辞書「兼名苑」(現存せず)の引用があり、そこに「一名反鼻」との記述があります。「反鼻」は「其音片尾」ともあり、中国で「ヘンビ」と呼んでいたようです。
日本国語大辞典によると、へびは「へみ」(「身を経る」の意味)の転、または「はみ」の転との説を載せています。「噛む」から来ているのかもしれず、沖縄の「ハブ」とも関連するのかもしれません。また、「ひも」や「はも」と同じく、細長いものをいう大和言葉だとする説もあります(白川静「字訓」)。
「へび」の語は古くはなく、14世紀に用例がありますが、それ以前は「くちなわ」や「ながむし」と呼ばれていたようです。
「へび」一語でもいろいろ考えさせられることが多く、言葉の世界は奥が深いものだと思います。
「死ぬ」
著者名も書名も忘れてしまったのですが、昔読んだ本で、「死ぬ」の「死」は訓読みか音読みかで議論があると載っていました。
常用漢字表でも「しぬ」という訓読みが認められていますが、この「し」が音読みの「死(シ)」から来ているのではないかということです。
「死す」という場合は、同じく死ぬ意味の「卒す(しゅっす)」「薨ずる(こうずる)」「崩ずる(ほうずる)」と同様、「死」は音読みされているといえます。
「死ぬ」について調べると、古くは連体形が「死ぬる」となる「ナ行変格活用」の語で、この活用をするのは他には「去ぬ(いぬ)」しかないそうです。そこで、「死ぬ」という語は「シ+イヌ」が合わさってできた語だとする説が有力です。「日本国語大辞典」によると、この「シ」は「息」の古語であり、息がなくなることをいうといいます。他に、「去りぬる」「過ぎいぬる」の略とする説もあります。
でも、中国語の「死」+「去ぬ」だと考えることもできないわけではないと思います。
日本語の「ウマ」は中国語の「馬(マ)」、「ウメ」は「梅(メ)」から来ていると考えられています。やはり基本的な言葉である「死ぬ」も、中国語の発音から来ている可能性があると思います。
「馬鹿」
司馬遷の「史記」に、有名な逸話があります。秦の始皇帝が亡くなった後、宦官の趙高が実権を握ります。あるとき、趙高が二世皇帝(始皇帝の息子)に鹿を献上し、「これは馬でございます」と言いました。皇帝は「何を馬鹿なことを」と思って左右の重臣に確かめると、重臣たちはみな「馬でございます」と言いました。皇帝は、趙高の権力を思い知って震え上がったということです。
この話から「馬鹿」の語ができたという説もありますが、この説には難点があります。「鹿」を「カ」と読むのは訓読みで、音読みは「ロク」です。だから「バロク」と読まないと漢語にはなりません。
では「馬鹿」の語源は?またも「日本国語大辞典」のお世話になります。有力なのはサンスクリット語(古代インドの言語。仏教とともに中国に入った)説です。「痴」の意味のMohaや、「無智」のMahallakaが変化してバカになったといいます。漢語でも和語でもなかったようですね。
余談ですが…
「日本国語大辞典」に載る「馬鹿」の語源説の一つに、「奢り高ぶって落ちぶれた高官の豪邸『馬家宅』から」というのがあります。この説の当否はともかく、この説の出典が目を引きます。松本修著「全国アホ・バカ分布考」となっていますが、これは特に関西で人気のTV番組「探偵!ナイトスクープ」で取り上げられたネタを深く探求した本で、松本氏は番組のプロデューサーです。辞典の改訂の際に、こんな本にまで(失礼!)目を配って事例を収集している編集の方々に、深く敬意を表します。
「面倒」
「面」が倒れて「めんどくさい」。なんとなく分かったような気がしてしまいますが、古くは「目だうな(めどうな)」という大和言葉でした。
「だうな」は「無益にものを浪費する」という意味で、「目だうな」は「見るのも無駄」という意味だったそうです(日本国語大辞典)。それが「見苦しいもの」の意となり、発音も「めんどうな」に変わったといいます。
意味も発音も変化し、語源が意識されなくなって、適当な漢字を当てて「面倒な」という表記になり、今ではまるで漢語のような顔をしています。
「堪能(タンノウ)」
これは「広辞苑」にも「日本国語大辞典」にも載っている説で、私が知らなかっただけのことかもしれません。
「神戸牛のすき焼きを腹いっぱい食べて、すっかり堪能した」というふうに使う場合の「堪能」です。「広辞苑」には、「十分にみちること。あきたりること」とあります。
いままで気づきませんでしたが、「堪能」を「タンノウ」と読むには問題があります。「堪」は「堪忍(カンニン)」の堪で、「タン」とは読めないのです。似た字の「湛」は「タン」と読むので、紛らわしいのですが。
ではなぜ「堪能」をタンノウと読む言葉ができたか。辞書によると、和語の「足る(たる)」から来ているといいます。「たる」に完了の助動詞がついた「たりぬ」から、→たんぬ→たんぬする→たんのする→たんのうすると変化したそうです。「堪能」はこの和語にそれらしい漢字を当てたもののようですが、音を間違えたようですね。当て字として使われたのは「堪能」だけではなく、「胆納」「堪納」「湛能」とも書き表されているそうです。
さらにややこしいのは、「堪能」と書いて「カンノウ」と読む、れっきとした漢語も存在すること。これはもともと「忍耐力」を意味する仏教用語でしたが、意味が広がり、「深くその道に通じること」をいう場合にも使われます。
「彼は英語に堪能だ」という場合の「堪能」は、本来は「カンノウ」と読むべきものでした。しかし、「満足する」の堪能に引きずられたのか、今では「タンノウ」と読むのが当たり前になっています。「堪」の音「タン」は、呉音でも漢音でもなく、「慣用音」に分類されています。
★かわいい漢字
「かわいい漢字なんてあるの?」とお思いでしょうが、それがあるのです。私が見つけたものをいくつかご披露します。
例えばこの字です。
箇
どこがかわいいのか。この字を小篆で書けばわかります。
「たけかんむり」が微笑んでいる目に見えて、かわいいでしょう?
「くにがまえ」をつけるとわかりやすい。
もっとも、
なんて字はありませんが。
他にもたけかんむりの字の小篆を見てみましょう。
「筍」の小篆は、「かわいいお嬢さん」という感じですね。
「笞」の小篆は「やさしいおじさん」という感じですが、これは刑罰で人を殴るときのムチです。
「算」の場合は、今どきのマスクをした人のようですね。
最後に、たけかんむり以外のものを。
これは「垂」の小篆です。笑っているけど、目が4つありますね。
「蒼頡さんのほほえみ」と名付けましょう。
蒼頡(そうけつ)。伝説上の漢字の発明者。
参考・引用資料
説文解字 後漢・許慎撰、100年:下記「説文解字注」より
説文解字注 清・段玉裁注、1815年:影印本第4次印刷 浙江古籍出版社 2010年
新訂字統 普及版第5刷 白川静著、平凡社 2011年
康煕字典(内府本) 清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年
大漢和辞典 デジタル版 ver.1.0 大修館書店 2018年
大書源 二玄社 2007年
日本国語大辞典 第2版 小学館 2001年他
干禄字書 顔元孫編、明治13年版:国立国会図書館デジタルコレクション
倭名類聚抄二十巻本 源順撰、元和3(1617)年版:国立国会図書館デジタルコレクション
漢字の魔力 佐々木睦著、講談社選書メチエ 2012年
てんてん 山口謠司著、角川選書 2012年
画像引用元(特記なきもの)
甲骨文、金文、小篆 漢字古今字資料庫(台湾・中央研究院ウェブサイト)
康煕字典(内府本) 清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年